長く働き続けるって、いけない事ですか?
こんにちは。特定社会保険労務士の森川です。
今、テレビをつけたら、『転職』をテーマにしたCMがこれでもか…という位に目にすることが増えましたね。自分のキャリアを考えた上で新たな仕事を経験することも大切ですし、様々な視点を獲得する、視野を広げる等々、『転職』する理由は色々考えられます。そして、私自身も、会社員から社労士に転職している訳ですから、否定もしません。
その一方、この仕事をしていると、”主体性を持って働いて欲しい”や”縁あって採用したので、ある程度は定着して仕事を続けてもらいたい。”というお話しをよく耳にする機会があります。
ご存じの通り、これから先、働き盛りの現役世代はどんどん減少します。
厚生労働省のHPから引用してきたものが、上記のグラフです。非常に分かりやすいですよね。濃いブルーの部分がいわゆる現役世代。年々緩やかに減少してきていますし、それに、2060年に入ると、人口は9,000万人を割り込みます。このまま放置すると、国としての立場も危うい。なんとか国力を保持するために…と生まれたのが、『働き方改革』です。詳しい内容は別のところで書こうと思っていますが、この『働き方改革』で
- 今まで働きづらかった人(例えば、女性や高齢者、病気を持っている方)にも働いてもらう
- 外国人の方もごきげんに働いてもらう
- 付加価値を高めて、いわゆる非正規と呼ばれる方の給料を上げる
を実現するために、整備されたわけです。
で、ここで考えていかなくてはいけないのが、”働き続けられなくなった人”のことです。年齢と共に予備体力(いざというときに、カラダを守ることができる体力)は落ちますし、カラダは何かしらの不具合が出てきます。ここで、”あんた、ちゃんと生活習慣を変えなさい”と言ってくれる誰かがいてくれれば良いですが、今、日本の年齢別の未婚率は
年々、右肩あがり。50代に入って男性で20.9%(5人にひとり)、女性で12%(10人にひとり)は未婚。女性はまだしも、男性は、何か言ってくれる誰かがいない確率が高くなってきているのも事実。
行旅死亡人という言葉をご存じですか?
これは、日本において、本人の氏名または本籍地・住所などが判明せず、かつ遺体の引き取り手が存在しない死者を指す言葉で、行き倒れている人の身分を表す法律上の呼称です。法律で死亡推定日時や発見された場所、所持品や外見などの特徴などが官報に掲載され公告されることになっています。
そして、その方たちを探すデーターベースも存在します。
働きざかりの孤独死
実は、「孤独死」については定義自体が難しく、全国的な統計がないので、2019年に大阪府警が出された調査(朝日新聞デジタル版)によると、40代~50代の働き盛り世代が約2割もしめていたそうです。もし…手に職をつけていたら、もし…働き続けられる環境であったら…と考えざるをえません。もちろん、色々なご事情があったのでしょう。病気療養が長引いたり、家庭の事情がそうはさせなかったり。事情があったとしても働き続けられていたら、働き続けられる環境であったら、亡くなる必要はなかったのでは?と思わざるをえません。
働き続けること
1社で働き続けることは時代に合わないと言われますし、1年で絶対に退職すると言う新入社員の方にお会いしたこともあります。仕事やキャリアに対する考え方や価値観は人それぞれですので、否定するつもりは一切ありません。ですが、開業や起業するにも、人としての「軸」や「手に職」、「熱」というものが全くない状態で、長続きするとは思えませんし、人がついてくるとは考えにくい。
一般的には一つの仕事をモノにするには1万時間は必要なんて言われることもあります(1ヵ月所定労働時間160時で約5年)20代、30代の頃は、その存在だけで重宝されることがありますが、世代があがり40代、50代となれば、雇われうる力を身に付けておかないと難しい。だからこそ、自分にとっての仕事とは何か?何のために仕事をしているのか?を考える場を少しでも多く作りたいと思っています。
そして、いくつになっても「働き続ける」には、間違いなく、”この人と一緒に働きたい”と思わせる自分であるか?つまりは、そういう自分を演出できる「コミュニケーション力」があるかどうか?これにかかっているのではないでしょうか?
自分から頭をさげて挨拶ができ、時間がが守れて、感謝の気持ちが伝えられる。この3つはいくつになっても、どんな立場になっても必要な力だと私は考えます。
皆さんはどのように考えられますか?