開拓者であれ
おはようございます。特定社会保険労務士の森川友惠です。
現在、私は朝6:00からの輪読会に6月中旬か加しています。題材は、稲盛さんが残された「京セラフィロソフィー」で、先輩社労士の方や、関与先の社長からお勧めしていただいて、以前からは存じ上げていただものの(ずっと以前から我が家の書棚にはありました)なかなか読み進めることができずにいました。
が、今回、1日1講話を輪読→グループで自分との違いをシェアする→参加者からの気づきを頂き→今日1日の実践を宣言するという流れで1ヵ月半を過ごした結果、誰が読んでも分かる平易な言葉を選ばれているのですが、今更ながら、めちゃくちゃ凄いことが書かれています。
これ、一人だとそうは感じなかっただろうな…。良いことは書いてあると分かってもここまで心が動くことはなかっただろう…と想像します。誰から学ぶかよりも、誰と学ぶかがいかに重要かということを体感しています。
で、昨日のテーマが<開拓者であれ>でした。
開拓者…といわれても。
フィロソフィーの中にも書かれていますが、
皆さんは通るなら、「舗装された良い道」と「道とも思えない田んぼのあぜ道」と通るならどの道を選びますか?「舗装された良い道」があるならだれもがそちらを選ぶのが日本人、わざわざその道を選んでいる人は”少し変わった人”と奇異の目で見られる…。同調圧力に屈して、みんなと同じ道を選ぶ…。私自身を振り返った時にも思い当たるところは多々あるわけです。
ですが、一流の経営者となられた稲盛さんは全く違うんですよね。
”人が大勢歩いているような道にはもう何も残っていないはずだ…。泥田のあぜ道の方がヘビやカエルなどに出会い、新しい発見もあって面白い。足が泥まみれになるかもしれないけども、自分はこの道を歩いて行く”
…この勇気。若くして会社を立ち上げ、従業員の生活を背負う訳ですから、この肝の据わり方がないと成功はしないのだろうけど、
でも……ですよ。地図も何ももたされず、足を踏み入れたら何が出てくるか分からない状況で、第一歩目を踏み出すには、事業に対して熱烈な熱い思いがなければ、最初の一歩はいけないですね。
社労士で開拓者であるには…。
社労士法には、社会保険労務士の職責として、
(社会保険労務士の職責)
第一条の二 社会保険労務士は、常に品位を保持し、業務に関する法令及び実務に精通して、公正な立場で、誠実にその業務を行わなければならない。
引用元:e-gov法令検索
と、定められており、事あるごとに「常に品位を保持し」という点がクローズアップされ、
「社労士としてはこうあるべき」
「社労士としての品位に欠ける」
……ということを言われることがあるわけです。私自身も数年前に実際に嫌がらせを受けましたし、面と向かって嫌なことも沢山言われました。自分自身では何も思わず、思い、考えた通りに行動した結果だったのですが、いわゆる”社労士のあるべき枠”を意識している方と、そうではない自分。ここに大きな隔たりがあるだと考えます。
嫌がらせの一件からしばらくは、本当に目立たないように「舗装された良い道」を選ぶようにしていた時期がありましたけどね…。
さて、皆さんは、どちらの道をいきますか?