良心と私心
こんばんは。特定社会保険労務士の森川友惠です。本日は自宅⇒京都市内の事務所⇒大阪労働局⇒エル大阪⇒天満橋⇒奈良⇒自宅という相当の移動距離。自宅に戻ったところで、暑さもありましたから、ぐったりでした。
皆様は、体調など崩されていませんか?
さて、本日は、3年前から勉強をはじめた「陽明学」について書いてみようと思います。
中国明代の王陽明およびその学派の新儒教学説と説明されることが多い学問ですが、「陽明学」と呼ばれるようになったのはごくごく最近のことです。陽明学の有名な考え方に、心が理であるという心即理(しんそくり)生来の道徳的判断力を発揮せよという致良知(ちりようち),認識と実践を一致させよという知行合一(ちこうごういつ)などが挙げられます。
よく言われる、性悪説と性善説でいくと、陽明学は性弱説。これは、人間は弱く悪い心も正しくて良い心も持っている。私心も良心も持っているという事を前提に「頭ではやった方が良いと分かっていても、その通り行動できない弱さがある」と人間を捉えていることに、なんだかとっても腹おちしたことが勉強をしはじめたきっかけです。
「電車で、高齢の方が目の前に立たれた時、若者が寝たフリする」光景を想像してみてください。
寝たフリをするのは、席をかわった方が良いことを知っているからなわけで、これが分かっていない人はそもそも寝たフリなどせず正々堂々と座っているはずですものね…。
良心の不作為ほど気持ち悪いものはなく、こんなことなら、さっさと席を譲っておけばよかった…と後悔する。これが人間だ…。人間って弱い生き物なんだ…というスタンスに共感し、私にはものすごくしっくりくるんです。
知り合えば知り合うほど「良心」は発揮されやすい
さっきの「電車の中で席を譲るか譲らないか問題」も、目の前に立った方がもし知り合いだったら?全くの他人より席を譲ろうとする気持ちは強くなるのではないでしょうか?
これは、職場だって同じですよ。まったくコミュニケーションが取れていない同僚と、よくコミュニケーションが取れている同僚だったら、どっちを助けようとしますか?多くの方が、より知っている人を助けようとされるのではないでしょうか?
なんとなく、感じが悪い、気が合わない。からコミュニケーションを取らずに放置するのか?一歩進んで足を踏み入れるか?これでチームの成果は大きく変わると思われませんか?好きとか嫌いとかではなく、シンプルに「知り合う」ことから始められてみてはいかがでしょうか?
知っていても、私心に負けてしまうとき。
これもある…と思います。それは、職場や仕事だけがその人を作っている訳ではないからです。例えばプライベートで深く悲しい出来事があった場合、本当に困ったことが発生してしまっている場合、自分のプライドがそれを許さない時など、人間はそもそも弱いですから、飲み込まれてしまうことも往々にしてある訳です。
ですから、その人の仕事以外の要素がどうなっているかを確かめに行く必要があると思うんですね。もちろん、プライベートにまで踏み込むな…と言われてしまえばそれまでですが、ネガティブな出来事は、やはり人の心を大きく揺さぶります。
プライベートのことも報告しやすい環境をどう作ってやるか…。管理職の腕の見せ所ですね。