聴く時間の大切さからコミュニケーションを考える
「自分の話を聴いてもらって、すっきりした!」
皆さんもこのような経験があるのではないでしょうか。ただただ話を聴いてもらっただけなのに、話した後は気分が高揚したり、頭の中がスッキリして気持ちよさを感じる、という事もあるのではないでしょうか。
2人以上の人々が言葉を使って情報交換をするコミュニケーションとして、「対話」と「会話」がまず考えられます。
「会話」は日常生活の一部で、友人や家族、同僚とのおしゃべりであり、お互い話したい事を好きなように話し、その話は色んな方向へ行き、「あれっ?何の話しをしてた??」という事もよくあるのではないでしょうか。目的もなく好きなことを好きなように話しができる事は気軽で、あまり頭を使わず気持ちのまま話せるのは、心と心の潤滑油になっているようにも感じます。
「対話」は目的や結果を達成するために行われるコミュニケーションで、あるテーマや問題について深く考え理解を深める為に行われます。ここには相互理解や共通の答えを見つけるというゴールがあります。ただ情報を受け取るだけでなく、自分の考えを表現し、他者の意見に対して反応し、協力して理解を深めたり新しい洞察を得たりします。お互いを知り共通の理解を深めるという事は、社会の中でも重要な役割を担っています。しっかりと向き合いお互いの心と心を通わせ、お互いの世界を知り、更に新たな世界を共に見ていくようにも感じます。
では「聴いてもらえた」と感じるのはどのような状態なのでしょうか?
これは「会話」でも「対話」という言葉ではなく、「聴く」に重点を置いたコミュニケーションから生まれるものかもしれません。そして、この「聴いてもらう」という経験自体、最近は少ないのではないでしょうか?
「言葉のキャッチボール」で例えてみると、自分がボールを持ったままで、キャッチボールの相手はグローブを構えたままずっと待っていてくれる状況でではないでしょうか。時々「うんうん」と首をふりうなずいてくれたり、「それからどうしたの?」と話を促してくれたり、「嬉しいって思ったんだね~」と自分の気持ちを受け止めてくれたり、そうしているうちに話はどんどん進み、気づくと気持ちも頭もスッキリして、気持ちよくボールを空に投げられるように感じます。
以前、私がマネージャー職に就いていた時、当時の上司と勤務形態上時間がなかなか合わず、日々がバタバタしている時期がありました。慢性的な人員不足で、私は一日中現場にいて上司とは一言二言会話するぐらいでした。その時、その上司は私の現場終了の時間を見越して「ちょっとコーヒーでも飲むか!」と声をかけてくれて、いつも店からちょっと歩いた先にある自販機まで連れ出してくれました。この「ちょっと歩いた先の自販機」が絶妙で、コーヒーは店でも飲めますが、一日中現場にいた私は外に出ることで気分転換ができ、事務所でもない外の自由な空間で話せる時間は、とても有意義な時間でした。上司とはコーヒーを飲みつつ、今日一日の出来事や、スタッフの事、これからの企画案など色々な事を話しました。その時間は15~20分位だったかと思いますが、その時間はひたすら私の話をずっと聴いてくれる時間でした。その時間の後、私は仕事に戻り、上司は帰宅するというルーティーンが週に数回ありました。今思えば・・・マネージャー職でありながらお店全体の事を考える余裕もない状態で、きっと私の心は荒んでいたのではないかと思います。その中、事務所でなく外でのミーティングは本当に支えになり、前に進むステップになっていた事を強く覚えています。
「聴いてもらう」「聴いてくれる人がいる」というのは、本当の意味で心強く感じる自分のサポーターです。とにかく聴いてもらえる環境は、自分の頭の中からどんどん言葉を発する事で、その言葉達を、その時はもちろんのこと、話した後からも味わうことができます。「あっ、実はこんな風に思っていたんだな~今は、今の自分でOK!」と自然と自己承認や自己肯定に繋がることもあるように思います。そして、後から味わう過程で自分自身を様々な角度で客観視でき、自己効力感にも繋がっていたのかもしれません。
日々の業務の中で、いつもいつも、部下の話を聴くだけではどうにもならない事があるかもしれません。ですが、時々、どうしても自分の言葉を挟みたいとき、自分の考えとは違う時でも、まずは部下の話をしっかり聴いてみる、という機会をつくってみるのはいかがでしょうか。そのちょっとした時間がお互いの関係性に意外な効果が表れてくるのではないでしょうか。
最新あまり話していないな・・・と感じた部下から、まずちょっとの時間「部下の話を聴くだけの時間」を始めてみませんか?
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