言葉にできなかった問いと、先が見えない中で働く私たちへ
2026年を終えた自分を想像してみる・・・
「今年一番大きな自己決定は?最高な出来事は?」
問いの意味は理解できるのですが、私は言葉にできませんでした。周囲では、迷いなく言葉を紡いでいく人たちがいて、その光景を見た瞬間、なんだか胸の奥がざわついてしまいました。
――自分はダメなのではないか。
――ちゃんと考えていないのかもしれない。
そんな評価を、反射的に自分に向けてしまったように思います。
言葉にできないことと、考えていないことは別ですが、現実には、その二つが同一視される場もあります。
今振り返ると、あの時起きていたのは本当に思考不足だったのか?
むしろ問いが、自分の価値観の深いところに触れていたから、軽々しく言葉にできなかったのではないか。そう考えるほうが、しっくりくる部分もあるかもしれません。
私たちは日々、先が見えない中で働いています。
社会の変化、組織の方針、役割の曖昧さ。確実な答えがないまま、それでも判断を重ねているのが現実ではないでしょうか。
キャリアコンサルタントとして面談をしている中、問いにすぐ答えられる方と、言葉に詰まる方がいます。沈黙する人ほど、実は大切な何かに触れていることもあるかもしれません。ですが、その一方で、沈黙がそのまま「考えていない」「準備不足」と受け取られてしまう場面も少なくないのです。
また、自己決定とは、分かりやすい行動だけを指すものでしょうか。
今は決めきらないと決めること。
安易な言葉で未来を固定しないこと。
自分を雑に扱わないと選ぶこと。
それらもまた、静かな自己決定なのかもしれません。
「最高な出来事」も同じで、その瞬間に最高だと分かる出来事ばかりではなく、当時は余裕もなく、ただ必死だった経験が、後になって意味を持つこともあります。だから未来を想像する問いに、今の自分が答えられなくても、不思議ではないように思うのです。
そして・・・あの場で自己肯定感が大きく下がった自分がいました。
他者と比べる環境の中で、答えを出せなかったからだと思いますが、言葉にできなかったという事実は、考えていなかった証ではなく、むしろ軽く扱えなかった証なのかもしれません。
職場でも、同じようなことが起きているのではないでしょうか。
会議で発言できなかった人。
1on1でうまく話せなかった人。
キャリアの問いに黙り込んでしまった人。
その沈黙を「意欲がない」「考えていない」と早合点してしまうと、人は安心して考えることができなくなるのではないでしょうか。
今は答えを出さないという選択や、とことん考える覚悟をもち一旦保留という選択、“仮置きで”と心を軽くして言葉を見つけてみるのも良い方法かもしれません。
分からないまま考え続ける時間。
言葉になる前の揺らぎ。
それを許されつつ、問いから逃げないこと。
その色々な要素のバランスが、働く中では求められているのではないでしょうか。
言葉にできなかったという事実も、2026年への静かな意思表示なのかもしれません。
答えを急がず、空白を抱えたまま。それでも問いを手放さずに、私たちは今日も、先が見えない中で働いているのだと思うのです。
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