ゲームの中で見た、本物のOJT
あるオンラインゲームの配信を見ていて、思いがけず「人が育つ場面」に出会いました。
その世界には、ギャングや警察、救急隊、飲食業など、さまざまな役割があり、それぞれが物語として関わり合い、その中には経験を重ねた熟練者プレイヤーもいれば、始めたばかりの新人プレイヤーもいました。
こうした場では、どうしても気心の知れたメンバー同士で集まりがちですが、あるとき「新人同士で固まらないようにしよう」という新人プレイヤーへアナウンスがあったようです。すると熟練者たちは、「自分達も自分達だけでまとまるのは違うかもね~」と自然に動き出し、一人ひとりが新人とペアを組む形へと変わり物語は進みました。
誰と組むかはそれぞれに任されており、そこに強制的な割り当ての空気はなく、ただ熟練のプレイヤーから、「一緒にやろう!」という関わり方が生まれていました。
そして、そこから始まったやり取りは、いわゆる指導というよりも、隣で共に楽しむ姿勢に近かったように感じられます。
「ナイストライ!」
印象的だったのは、新人プレイヤーが失敗したときの反応でした。
ミスが起きた瞬間、周囲から必ず「ナイストライ!」という声がかかり、新人プレイヤーは「失敗しちゃいました~、すみません~」と、取り繕うことなくそのままの気持ちを言葉にする場面がありました。その言葉が出たことで、次に向かう準備が整うようにも見え、するとまた周囲が「ナイストライ!」と応じるのです。
そのやり取りの中に、「ここで止まらなくていい!」「次へいこう!」「チームでやっているよ!」というメッセージが、説明されることなく含まれているようでした。
誰か一人が励ますのではなく、皆が同じ言葉を重ねることで、場の方向性が揃っていく。
失敗を責めない、むしろ次の挑戦のスタートにしていく、そんな空気が自然に共有されていたのです。
「どうしたら楽しめるか?」
さらに興味深かったのは、熟練プレイヤーたちが新人プレイヤーについて話し合う場面がありました。
そこで語られていたのは評価や出来不出来ではなく、「どうしたら楽しめるか?」という視点でした。そして、「この数週間続く時間(プレイ時間)のあと、毎回ぐっすり眠れるといいね~」という言葉も交わされていたのです。これは、うまくいかなかったことを振り返ることは大切にしながらも、それが「もっとこうしてみよう」という次への工夫につながる形であってほしいというものでした。
「自分は役立たずだ・・・」「迷惑をかけているのではないか・・・」そんな思いには向かわせたくない。その配慮や気遣いが、言葉の端々から静かに伝わってくるようでした。
そして、更に、その様子を見ている視聴者のコメント欄には、「頑張れ!」「声出していこう~」「いいチームだ!」といった言葉が自然と並んでいきました。画面の外にいるはずの人たちも、その関係性に巻き込まれ、一緒に応援したくなる空気が生まれていたのです。
見ている側でありながら、どこか自分自身も励まされているような、不思議な感覚さえありました。
”皆で育てる環境”
ふと気づいたのは、視聴者である私たちの立ち位置です。
画面の中で直接指導しているわけではないけれど、コメントを通して応援し、成功を喜び、挑戦を後押ししているのです。これは、組織に置き換えるなら、それは同じチームではない周囲の部署や仲間の存在にも似ているように感じます。
育成というと、どうしても「教える人」と「教わる人」の関係に焦点が当たりやすいのですが、実際には、その周囲にいる人たちのまなざしや関わり方が、”学びやすさ”を大きく左右しているのかもしれません。
応援されていると感じられる場では、人は挑戦しやすくなり、失敗しても見守られている感覚が、次の一歩を支える。
つまりOJTは、必ずしもマンツーマンの技術伝達だけではなく、“皆で育てる環境”そのものとして捉えることもできるのではないでしょうか。
楽しいところや、人が安心して関われる場所には、自然と人も情報も集まってきます。
対話が循環している場には、支援もまた循環していきます。
配信の中で起きていたのは、教える関係だけではなく、「応援が育成を支えている状態」だったように思えたのです。
学びの場というと、計画された研修や整えられた資料を思い浮かべがちかもしれませんが、ここで起きていたのはもっと素朴なものだったように思います。
遠慮していないかと気にかけること。
失敗を経験として扱うこと。
感情を言葉にすることを受け止めること。
ありがとうやごめんねを、その場で伝えること。
そして、「どこに向かっているのか」を共有していること。
どれも特別な仕組みではないのです。ですが、それらが重なったとき、人は安心して動き出せるのかもしれません。
楽しさを入り口にしながら、役割を越えて支え合う。
評価よりも関係を先に築く。
教えるよりも、一緒に経験する。
その姿は、いわゆるOJTという言葉から想像する「指導」とは少し違って見え、人が育つのは、教えられた瞬間ではなく、関係の中に”居場所”を感じ始めたときなのかもしれません。偶然目にしたゲームの世界でしたが、そこには確かに、人が育つ現場の要素が含まれていたのです。
学びは必ずしも「教える場」で起きるのではなく、「共に関わる場」から生まれることもある。
画面越しにその様子を追体験しながら、職場での関わり方を問い直される時間になっていました。育成とは特別な仕組みではなく、関係の中に生まれる日常の積み重ねが大切なのではないでしょうか。
そして、この日常の積み重ねを大切にし、実際の職場で、その関係はどのように始まり、育っていくのでしょうか。ここから共に考えていきませんか。
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